文章定冠詞と不定冠詞1~4 かなり前に、日本語の格助詞の「が」には、定冠詞の役割もある、と書いたことがある。 分析してみたことがあって、そういう結論に達していたからだった。 すると、養老氏の本に、「格助詞・が、には、不定冠詞の機能がある。格助詞・は、には、定冠詞の機能がある」という記載があるという情報をいただいた。 それによると、「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました」という文章から、そういえるという。 (以上、記憶に基づいて書いているので、間違いがあるかもしれませんが) それは間違いだ。その「が」は、やはり、定冠詞の機能をもっている。 「この物語りで、着目している、その」ということになるからだ。 不定冠詞だと、だれでもいいが、だれか知らないが、ランダムで選んだおじいさんとおばあさん、ということになる。 それだと物語にはならない。 だから、定冠詞の働きがあるのだ。 それをそこで不定冠詞としたのはたぶん、分析もせず、エイゴの品詞の扱いをそのまま援用してのことだろう。 エイゴで、単数で、同じように物語の冒頭に、主人公的な人物で「an old man」とあったとしても、その「a(an)」は、同じく「一人のその」となって、定冠詞のようなものとなる。 その人物を任意に選んだのなら物語りにはならない。 その人物を任意に選んだのではなく、ちゃんと着目して選んでいるではないか。 先に日本語において述べたのと同じ理屈だ。 エイゴのばあい、まず、物語の冒頭に、「an old man」とでてきて、次から同人物を「the old manとかhe(屁ではなくて、ヒーです。ジョーク)」と呼ぶことになる。 その「a(an)」は不定冠詞とされる。 それをそのままもってきて、「が」に不定冠詞の機能がある、としたのだろう。 ところが、それは間違いだ。 既に述べたとおり、エイゴのケースでも、それは定冠詞的となる。 「一人のその」だ。 もっともかんたんに言えば、「この物語の主人公の」だ。 自分で分析しないと、そんなこともあるのだ。 すべては解明途上にある。 どれも完成していない。 だから、自分で考えないとよろしくない。 結局、「~が」は、「ほかでもない~」という強調の役割をもっているともいえる。 一方、「は」についていうと、「~は」は、「~について言えば、それは」という、今の状況で対象を決める、とか、主題における何らかの対象を示す、などの機能をもっている。 単に主格を示す、ととらえてもいいケースもある。 さらに「は」は、着目を示すケースもある。たとえば、否定形のばあい、「は」をつけた個所だけを否定する、といった役割をもつ。 で、先にでた何かについて言うことになるケースでは、当然、「は」に定冠詞にいくらか似たニュアンスを感じることもできる。 ひとつ、付け加えておくと、「が」は定冠詞的であるものの、読者にとって未知な人物などが初めてでてくるばあいは、読者にとって不定冠詞的要素がいくらかある、ということを否定はできない。 それでもなお、「が」は定冠詞的要素が最大である。 (このコラムを書いていく中でも、「は」「が」「を」「も」などの使い分けに注意せざるをえなかった。とくに、どれでもいいケースが稀にある、ということを強調しておこう。ただしそのばあいでも、ニュアンスがいくらか異なるが。 実際には、「をも」とか、「をが」とか、「はが」、などの省略形のケースもある) (時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません) このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。 このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。 それらの無断利用を禁じます。 Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?) ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|